日蓮正宗入門

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序編 釈尊の仏教 第二章 釈尊の教え 9

二、法華経

法華経の構成と各品の大意

◇迹門十四品

『序品(じょほん)第一』法華経二十八品の序分(総序)であるとともに、迹門の別序にあたります。

この品では、釈尊は大衆を前にして『無量義経』を説いた後、三昧に入られ、不思議な瑞相を現ぜられました。これに驚く弥勒菩薩らの疑問に対し、文殊菩薩は、この瑞相は過去の日月燈明仏が示したものと同じであり、釈尊も同様にこの三昧から起たれた後に法華経を説法されるであろうと答述しています。

 

『方便品(ほうべんぽん)第二』では、三昧より起たれた釈尊が、問われることなく自らすすんで説法(無問自説)を開始し、舎利弗(しゃりほつ)に対して諸法実相・一念三千の法門を明かされました。

その後、五千人の上慢の四衆が退座して純実な衆生のみになったことにより、仏はこの世に出現せられた「一大事因縁」ろ示され、その目的が衆生に仏知見を開かしめ、示し、悟らせ、入らしめんとする(開示悟入)ことにあると説かれました。

そして、五仏(総諸仏・過去仏・現在仏・未来仏・釈迦仏)はすべて、衆生を教化するために、必ず前に方便の三乗法を説いて衆生の機根を調え、最後に一仏乗の法華経を本懐として説くことを明かされました。

 

『譬喩品(ひゆほん)第三』は二段に分けられ、前半は『方便品』の諸法実相の妙理である開山顕一(かいさんけんいち)を信解した上根の舎利弗(法説周)に対し、釈尊は未来世での成仏を約束され(記別)、さらに後半では、未領解の四大声聞(迦葉(かしょう)・目連(もくれん)・須菩提(しゅぼだい)・迦旃延(かせんねん))に対し、「三車火宅の譬」をもって開山顕一の法門を理解させようとしました。

なお、この品末には十四種の法華誹謗(十四誹謗)が説かれています。

 

『信解品(しんげほん)第四』では、中根の四大声聞(譬説周)が、前品の譬喩を領解したことを「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬」をもって述べています。この譬えは、窮子が父の長者によって徐々に教化される姿をとおし、四大声聞が釈尊一代の説法を五時(華厳・阿含・方等・般若・法華)に分別して理解した旨を述べたものです。

 

『薬草喩品(やくそうゆほん)第五』では、前品で四大声聞が「長者窮子の譬」をもって領解したのに対し、釈尊はその理解力を誉め、さらに仏の功徳の甚大なることを一段と深く理解せるために、大雲による雨の潤いで育つ「山草二木の譬」を説かれました。

この譬えは、「本来、仏の実相の法は一相一味であるが、衆生の境界に三乗・五乗と差別があるために受ける功徳は異なる」ことを示され、そのうえで一仏乗の法華経によって、すべての衆生が平等に成仏できることを説かれたものです。
この品の前半には、「現世安穏。後生善処」(開結217)として、法華信仰の功徳を示されています。

 

『授記品(じゅきほん)第六』では、仏が前品の譬えを聞いて領解した中根の四大声聞に、未来世における成仏の記別を授けて譬説周の説法を終了します。

 

『化城喩品(けじょうゆほん)第七』では、前の法説・譬説で理解できなかった下根の声聞衆(因縁説周)に対し、久遠三千塵点劫以来の宿世の因縁を説いて得道させようとします。

前段では三千塵点劫の久遠における大通知勝仏の法華経の説法と、その子供である十六王子が十万の国土に赴いて法華経を再び講説(大通覆講)して大衆に結縁したことを説かれ、十六番目の王子が娑婆世界で成仏した釈尊であることを明かされました。後段ではこの因縁を「化城宝処の譬」として示し、小乗教で説いた二乗の涅槃が真実でないことを明かして一仏乗に引入することを説かれています。

 

『五百弟子授記品(ごひゃくでしじゅきほん)第八』では、次の『授学無学人記品第九』とともに、前の『化城喩品』の譬えを聞いた下根の声聞衆(因縁説周)に、未来において成仏できるとの記別が与えられます。

はじめに釈尊は、まず下根の声聞衆を代表して富楼那(ふるな)に記別を与え、次いで千二百人の声聞が授記を念願していたことを知り、別して五百人に同一名号をもって同時に授記されました。さらにまた、この座にいない一切の声聞衆に対して、迦葉(かしょう)をつうじて授記を託しています。

品末には、この五百人が歓喜し、「貧人珠(びんにんけいじゅ=衣裏珠)の譬」を述べ、領解の意を表しています。

 

『授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)第九』では、下根の声聞衆の願いに対して、釈尊はまず阿難(あなん)・羅羅(らごら)にそれぞれ記別を授け、さらに二千人の声聞には、同一名号を与えて授記されました。この学無学の「学」とは有学の意で、いまだ惑いを断尽できず、真理を修学追求している声聞衆をいい、「無学」とは、惑いを断じ尽くしてこれ以上学ぶ必要のない阿羅漢果(あらかんが)の人を指します。

 

『法師品(ほっしほん)第十』では、滅後の法華経弘通の功徳深重を説き、その弘経を勧めています。

ここには法華経を受持・読・誦・解説・書写するという「五種法師」と、所持する法の「已今当(いこんとう)の三説超過」が明かされ、さらに弘経の方軌として「衣・座・室の三軌」が説かれています。

 

『見宝塔品(けんほうとうほん)第十一』では、空中に多宝如来の七宝の大塔が涌現したことにより、釈尊は、神通力によって会座を霊鷲山(りょうじゅせん)から虚空に移し、「虚空会」の説法が開始されます。 この多宝塔の出現には、多宝如来がこれまでに説かれた迹門正宗八品の真実を証明する「証前」の意義と、後の本門寿量品における釈尊の久遠本地の開顕を起こす「起後」の意義とが含まれています。

また釈尊は、滅後の妙法弘通の誓願を勧めるために「三箇の勅宣」を説かれました。なかでも第三の諫勅(かんちょく)では法華経を持つことの難しさを「六難九易(ろくなんくい)」の譬えをもって示されています。

 

提婆達多品(だいばだったほん)第十二』には、悪人提婆達多(だいばだった)の未来世での成仏と、畜身竜女の即身成仏(女人成仏)が説かれ、法華経の功徳の深重を証し、滅後の妙法流通を勧めています。

まず前段で釈尊は、自身と提婆達多が過去世において弟子と師匠の関係にあった因縁を明かし、後段で文殊菩薩の海中弘経によって、八歳の竜女が即身成仏したことを大衆に示されました。この両者の成仏は、滅後の衆生に対して妙法弘通を諫暁(かんぎょう)したことから「二箇の諫暁」といい、前の『宝塔品』の「三箇の勅宣」と合わせて「五箇の鳳詔(ほうしょう)」ともいわれています。

 

『勧持品(かんじほん)第十三』では、前の『宝塔品』で滅後の弘経を勧めたことにより、此土弘通を誓願する二万の菩薩や、悪世の娑婆を恐れて他土での弘通を誓う声聞衆(初心の菩薩)が出ました。また八十万億那由佗(なゆた)の菩薩たちは、釈尊に対して十方世界に弘経することを命じてほしいと求めました。しかし、仏が黙然としていたため、菩薩たちは不退転の誓いを二十行の偈頌(げじゅ)にして明らかにしました。この二十行の偈には、滅後の弘経に対して三類の強敵(俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢)が現れても、「我不愛身命 但惜(たんじゃく)無上道」(開結377)の誓言をもって、弘通することが述べられています。

 

『安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四』では、此土弘通を恐れる初心の菩薩がでたことにより、これを心配した文殊菩薩は、濁悪世(じょくあくせ)の末法で安楽に修行する方法を尋ねました。これに対して釈尊は、滅後濁悪の世における初心の菩薩の修行を、身・口・意・誓願の四安楽行として示し、妙法弘通の方軌を摂受の修行のうえから具体的に説かれました。またこの品の後半には「髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の譬」が説かれ、法華経が一切の教えの中で最勝の経であることが示されています。