日蓮正宗入門

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序編 釈尊の仏教 第二章 釈尊の教え 2

一、釈尊一代の教え ー 五時八教 ー

<五時>

華厳時

釈尊は、30歳のとき、中インド・摩竭陀国(まかだこく)の伽耶城(がやじょう)に近い菩提樹(ぼだいじゅ)のもとで成道した後、海印三昧(かいいんざんまい)という禅定(ぜんじょう)に入り、その境地のなかにおいて十方世界から来集した法慧(ほうえ)・功徳林(くどくりん)・金剛幢(こんごうどう)・金剛蔵(こんごうぞう)の四大菩薩や、大乗根性の凡夫(ぼんぶ)の機類(きるい)に対して、21日間にわたり華厳経(けごんぎょう)を説示しました。この時期を「華厳時」といいます。

この華厳時の説法は、釈尊衆生の機根をはかるため、試(こころ)みに高尚(こうしょう)な教えを説いたものであり、仏の化導のうえから、これを「擬宜(ぎぎ)(よろしきところをおしはかる)」といいます。この説法では、いまだ機根が熟していない衆生はまったく理解することも利益を受けることもできませんでした。

華厳経は教義の浅深からいえば、般若経(はんにゃきょう)より深く、法華経より浅い権大乗(ごんだいじょう)の経典になります。この権大乗の「権」とは「仮(か)り」という意です。

この華厳経を依経(えきょう)として宗旨を立てているのが、奈良東大寺に代表される華厳宗です。

阿含時(鹿苑時)

釈尊は、華厳(けごん)の教えを説示された後、菩提樹(ぼだいじゅ)のもとを起(た)って波羅奈国(はらないこく)の鹿野苑(ろくやおん)に赴(おもむ)いて、阿若橋陣如(あなきょうじんにょ)等の五比丘(びく)に対して方を説き、その後、12年間にわたり広く16大国に遊化(ゆうげ)しました。この間、釈尊は未熟な機根に対して「誘引(ゆういん)」のために、もっとも初歩的な教えである四阿含経(長(じょう)阿含・中阿含・増一(ぞういつ)阿含・雑(ぞう)阿含)を説かれました。したがって、この時期を「阿含時(あごんじ)」といい、また鹿野苑で説きはじめたことから「鹿苑時(ろくおんじ)」ともいいます。

これらの教えによって小乗教の人々は、外道の誤った因果観から離れることができましたが、空理(くうり)のみに執着し専(もっぱ)ら自己の得脱(とくだつ)だけを目指すという狭(せま)い境界に陥(おちり)りました。このことから阿含経を小さな乗り物に譬(たと)えて「小乗」と称しています。

この阿含経を依経(えきょう)とする宗派として、奈良仏教の倶舎宗(くしゃしゅう)・成実宗(じょうじつしゅう)・律宗等があります。


方等時

方等時(ほうどうじ)とは、釈尊阿含(あごん)時の次に説法された16年間(8年間説あり)をいい、ここでは『解深密教(げじんみっきょう)』『楞伽経(りょうがきょう)』『勝鬘経(しょうまんぎょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』『無量寿経(むりょうじゅきょう)(双観経(そうかんぎょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)(観経)』『大日経(だいにちきょう)』『金剛頂経(こんごうちょうきょう)』『蘇悉地経(そしっじきょう)』『維摩経(ゆいまきょう)』『首楞厳経(しゅりょうごんぎょう)』『金光明経(こんこうみょうきょう)』等、数多くの権大乗の教えが説かれています

釈尊は、この方等時の説法で阿含の小乗教に固執する弟子たちに対し、大乗の教えが優れていることを比較して示し、小乗の空理を弾劾(だんがい)・呵責(かしゃく)して弟子たちに恥小慕大(ちしょうぼだい)(小乗を恥(は)じて大乗を慕(した)うこと)の心を起こさせました。したがって、この方等時の化導を「弾呵(だんか)」といいます。

方等時の経典を依経(えきょう)とする宗派には、浄土宗・浄土真宗真言宗法相宗禅宗等が挙げられます。

般若時

般若時(はんにゃじ)とは、方等(ほうどう)時の次に説法された14年間(22年間説あり)をいい、霊鷲山(りょうじゅせん)や百露地(びゃくろじ)で、摩呵般若(まかはんにゃ)・光讃(こうさん)般若・勝天王(しょうてんのう)般若・金剛(こんごう)般若・仁王護国(にんのうごこく)般若等の『般若波羅蜜経(はんにゃはらみっきょう)』が説かれました。

釈尊はこの般若時において、前の方等時で小乗を捨てて大乗を求める志を持った弟子たちに対し、仏の教法には本来、大乗と小乗との区別はなく、すべてが大乗教であることを知らしめました。これによって小乗が劣るという考えを篩(ふる)い落として精選(せいせん)し、すべてを大乗の教えに統一したのです。これを「淘汰(とうた)」といい、また「般若の法開会(ほうかいえ)」ともいいます。

しかしここで説かれた経典は、いまだ真実を顕したものではなく、法華経に導くための権大乗の教えでした。

釈尊滅後、正法時代の論師である竜樹(りゅうじゅ)は、この般若時に説かれた『摩訶(まか)般若波羅蜜経』の注釈書として『大智度論(だいちどろん)』を、さらに般若経の教理の体系として『中論(ちゅうろん)』を著しています。この中論等を依経(えきょう)としする宗派には、奈良仏教における三論宗がありました。

なお現在、写経などに用いられている『般若心経』は、この般若時に説かれたものです。

法華・涅槃時

釈尊は、72歳より8年間にわたり、摩竭陀国(まかだこく)の霊鷲山(りょうじゅせん)及び虚空会(こくうえ)において『法華経』を説かれ、さらに涅槃(ねはん)の直前の一日一夜、沙羅林(しゃらりん)において『涅槃経(ねはんぎょう)』を説かれました。この時期を法華・涅槃時といいます。

◇法華時

釈尊は法華時の開経である『無量義経』において、

「種種説法。以方便力(いほうべんりき)。四十余年。未顕真実(みけんしんじつ)」(開結23)

と説かれています。これは、釈尊が成道してより42年間に説かれた教えは方便(権(か)り)の教えであり、それらの教法では成仏することができないことを示され、これから説かれる『法華経』のみが真の成仏の教えであるとの宣言にほかなりません。

釈尊が方便の教えを設けた理由は、仏の悟りである法華経に対する衆生の機根がまちまちであったため、その根性の融和(ゆうわ)をはかるために42年間にわたり、蔵(ぞう)・通(つう)・別(べつ)の教理を説き、頓(とん)・漸(ぜん)・秘密・不定(ふじょう)の説法を用い、擬宜(ぎぎ)・誘引(ゆういん)・弾呵(だんか)・淘汰(とうた)の化導を施(ほどこ)してきたのです。

したがって、法華経の説法では、声聞・縁覚・菩薩の三乗の人々に対し、もはや方便の教えは必要なく、純円一実(じゅんえんいちじつ)の教法が説かれたのです。この法華時における化導を「開会(かいえ)」といい、この開会を明かされた法華経こそ、釈尊一代にわたる最勝の教えであり実大乗教なのです。

なお、法華経釈尊が証得された大法を、仏自身の意に随(したが)って説き示されたことから「随自意(ずいじい)」の教えといいます。これに対して爾前経(にぜんぎょう)は衆生の性質や願望に応じて説かれたことから「随他意(ずいたい)」の教えといい、釈尊の真意ではありません。

この法華経を依経(えきょう)とする宗派に、天台宗日蓮宗等があります。

◇涅槃時

釈尊は、窮極の法である法華経を説いた後、入滅に臨(のぞ)んで『涅槃経(ねはんぎょう)』を説かれました。

この経は、法華経の会座(えざ)より退出した五千人の増上慢(ぞうじょうまん)の者をはじめ、釈尊一代の教化に漏(も)れ成仏できなかった人々のために説かれたものです。したがって、法華経が一切衆生を成仏せしめることを秋の収穫(大収)に譬えるのに対し、涅槃経はその後の落ち穂(ぼ)拾い(くん拾)=くんじゅう「くん」は「手偏に君」に譬えられます。

涅槃経には、仏身が常住であることや、仏説には隔(へだ)てのないことなどが説かれ、さらに「一切衆生・悉有仏性(しつうぶっしょう)」の教義が示されています。このことから天台大師(てんだいだいし)は、法華経の「一切衆生・皆成仏道(かいじょうぶつどう)」と説かれる教理と同じとして、涅槃経を法華経と同じ第五時に配しています。

しかし涅槃経には、爾前(にぜん)権教の内容も重ねて説かれていることから、純円無雑(むぞう)の法華経と比較すれば、はるかに劣るものになります。

この涅槃経を依経(えきょう)とする仏教の宗派は、中国仏教の涅槃宗等が挙げられますが、日本には存在していません。

また涅槃経では、仏の教えが次第に深くなっていく相を、牛乳の精製の過程で生ずる五味(ごみ)(乳味(にゅうみ)・酪味(らくみ)・生蘇味(しょうそみ)・熟蘇味(じゅくそみ)・醍醐味(だいごみ)に譬えています。これを天台大師は仏の五時の次第に準じ、華厳(けごん)・阿含(あごん)・方等(ほうどう)・般若(はんにゃ)を前の四味とし、最後の法華・涅槃の経が極説の醍醐味にあたると説きました。

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