日蓮正宗入門

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序編 釈尊の仏教 第一章 釈尊の生涯 3

三、仏陀釈尊

成道

苦行の疲労から体力を回復した釈尊は、伽耶城(がやじょう)近くの森のアシュヴァッタ樹(じゅ)の下に座し、49日間にわたって独(ひと)り沈思黙想(ちんしもくそう)を続け、心身にわき起こるさまざまな魔軍(まぐん)を降伏(ごうぶく)して12月8日の早暁(そうぎょう)、ついに悟り(正覚(しょうがく))を開き、ここに仏陀(ぶっだ)(覚者(かくしゃ))となりました。このとき釈尊は30歳でした。
これを「成道(じょうどう)」といい、このことにちなんで悟りを得た地を「仏陀伽耶(ぶっだがや)(ブッダガヤー)」と呼び、アシュヴァッタ樹は「菩提樹(ぼだいじゅ)」と名づけられました。

転法輪

まず釈尊は、悟りによって得た境地を21日間にわたって、菩薩(ぼさつ)たちに説示されました。これが『華厳経(けごんきょう)』です。
釈尊は、この悟りの法を人々に対して説くべきか否(いな)かを思惟(しゆい)されましたが、梵天(ぼんてん)の願いを受けて説法することを決意し、かつて修行をともにした5人の侍者(じしゃ)を想い起こして鹿野苑(ろくやおん)に向かい、この5比丘(びく)に対し、四諦(したい)・八正道(はっしょうどう)の説法を行って教化しました。このときの説法を「初転法輪(しょてんぽうりん)」といいます。

四諦と八正道>

四諦

迷いと悟りの因果関係を明かした4つの真理をいいます。
現実の世界は苦であり<苦諦>、
その原因は渇愛などの煩悩であり<集諦>、
これを滅すれば苦も滅する<滅諦>、
そのために8つの正しい道を行ぜよ<道諦>
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◇八正道

道諦の内容を構成したもので、悟りに至る八つの正しい道をいいます。
①正見・・正しい道理・見解を持つこと
②正思(惟)・・正しい思考
③正語・・正しい言葉
④正業・・正しい行い
⑤正命・・正しい生活法
正精進・・正しい努力
⑦正念・・正しい念慮
⑧正定・・正しい精神統一

弘教

ガンジス河流域の各地を巡(めぐ)って衆生を教化していた釈尊は、王舎城(おうしゃじょう)に向かう途上、迦葉(かしょう)3兄弟とその弟子1000人の帰依(きえ)と受け、さらに王舎城にいたっては、摩竭陀(まかだ)国王である頻婆娑羅(びんばしゃら)を教化しました。
次にナーランダー村では、2大バラモン舎利弗(しゃりほつ)・目連(もくれん)が弟子250人をひきいて仏弟子となり、また、故郷の迦毘羅衛城に(かびらえじょう)に帰ったときには、父の浄飯王(じょうぼんのう)、養母の摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)、妃の耶輸陀羅(やしゅだら)、長子の羅?羅(らごら)、従兄の阿難(あなん)等、多くの同族を教化して弟子としました。
その後も多くの者が弟子となり、特に舎利弗をはじめとする優(すぐ)れた10人の弟子は「十大弟子」と呼ばれています。 さらに頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)が竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)を供養し、国内の人々に対する教化を願い、また須達長者(すだつちょうじゃ)が深く帰依して祇園精舎を供養するなど、釈尊尊い教えにふれた人々が次々に弟子となり、外護者となっていきました。
しかし一方、従弟の提婆達多(だいばだった)など釈尊の化導を妨害する者もおり、「九横(くおう)の大難」といわれるさまざまな迫害もありました。

釈尊十大弟子

釈尊は多くの弟子のなか、特に優れた能力や徳を有した10人の弟子を次のように称されています。
舎利弗(しゃりほつ)・・仏説をよく理解したことから智慧第一
摩伽迦葉(まかかしょう)・・衣食住に関して少欲知足にてっしたことから頭陀第一
阿難(あなん)・・常に仏に給仕して説法を聞いたことから多聞第一
須菩提(しゅぼだい)・・よく空を悟ったことから解空第一
富楼那(ふるな)・・説法に長けていたことから説法第一
目連(もくれん)・・通力に長けていたことから神通第一
伽旋延(かせんねん)・・よく外道を論破したことから論議第一
阿那律(あなりつ)・・あらゆるものを見とおす能力を得たことから天眼第一
優波離(うばり)・・戒律を厳守することに優れていたことから持律第一
羅ゴ羅(らごら)・・戒を微細に守り保つことに努めたことから蜜行第一

祇園精舎建立の縁由>

祇園精舎の鐘の音・・」(平家物語)で知られる祇園精舎とは、コーサラ国の舎衛城にあった僧院のことです。マガダ国の竹林精舎(仏教史における寺院第一号)、ビシャリ国の大林精舎とともに三大精舎と称されています。 須達(給孤独・ぎっこどく)長者が、コーサラ国の祇陀(ぎだ)太子の所有する園林を購入し、精舎を建立しようとしました。長者の尊い志を知った太子は、その園林を喜んで寄進し、精舎の建設に協力しました。このことから両者の名をとって「祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)」、すなわち祇園精舎と呼ばれています。

真実の教え

釈尊は、30歳で成道してより42年間にわたり、『華厳経(けごんきょう)』をはじめとして『阿含経(あごんきょう)』、『方等経(ほうどうきょう)』、『般若経(はんにゃきょう)』と順に法を説かれましたが、これらは、衆生の機根(きこん)を調(ととの)えて真実の教えに導き入れるための方便(ほうべん)の教えでした。
そして釈尊は72歳のときから、8年間にわたり摩竭陀国(まかだこく)の霊鷲山(りょうじゅせん)において、『法華経(ほけきょう)』を説かれました。この法華経の説示こそ、釈尊がこの世に出現した一大目的であり、真実の教法だったのです。

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