日蓮正宗入門

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序編 釈尊の仏教 第一章 釈尊の生涯 1

釈尊(しゃくそん)とは、「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」の略称で、「釈迦」とは種族の名称、「牟尼」とは聖者(せいじゃ)、「世尊」とは仏のことを指します。釈迦族出身の聖者・釈尊は、一般に「仏陀(ぶっだ)」と称され、これは真理を悟(さと)った人(覚者(かくしゃ))という意味です。

この仏陀である釈尊の説かれた教えを「仏教」といいます。


一、釈尊の出現以前

古代インドでは紀元前(きげんぜん)3000年頃から前2000年頃に、インダス河流域を中心にインダス文明が発達しました。

この文明を築いた民族は、先住民のドラビダ人・インダス人・ムンダ人等でしたが、前1500年頃、中央アジアからアーリア人が侵入(しんにゅう)して先住民(せんじゅうみん)を征服(せいふく)したことによって、自由人(アーリア人)と隷属民(れいそくみん)(先住民)とに大別(たいべつ)されるようになっていきました。

アーリア人は、ガンジス河流域を中心とした地域に独自の社会を形成し、そのなかで次第にバラモン(司祭者(しさいしゃ))、クシャトリア(王侯(おうこう)・武士)、ヴァイシャ(庶民)の三つの階級を定め、さらにその下に先住民をシュードラ(隷属民)として置き、これを使役(しえき)するようになりました。この四姓(しせい)(ヴァルナ)制度はカースト(血統・家柄)といわれ、時代が進むにつれてさらに細分化されて現在に至(いた)っています。

また宗教的には、アーリア人は自然現象を神として崇拝(すうはい)し、その賛歌(さんか)や祭祀(さいし)・呪詩(じゅし)が四種(リグ・ヤジュル・サーマ・アタルヴァ)のヴェーダ聖典としてまとめられました。そして、これらの四ヴェーダに対してさまざまな注釈書が作られ、なかでも祭式(さいしき)の細かい規定が定められた『ブラーフマナ』には専門の知識を必要としたため、司祭者(バラモン)の力が強くなり、その結果としてバラモンがつかさどる宗教(バラモン教)は発生し、その後、さらにヴェーダに述べられている賛歌や祭祀の意義をもととして、輪廻(りんね)からの解脱(げだつ)を追求したウパニシャッド哲学(奥義(おうぎ)書)が生まれました。

また、釈尊が出現される頃には、既成のバラモンを否定して自由な思想を展開する六師外道(ろくしげどう)と称される六人の思想家(沙門(しゃもん))がいました。これらの思想は、アジタの唯物論(ゆいぶつろん)、プーラナの道徳否定論、パクダの七要素説、マッカリの決定(けつじょう)論(宿命論)、サンジャヤの懐疑論(かいぎろん)、ニガンタの苦行論(くぎょうろん)等で、このうちニガンタは自らジナ(勝者)と称し、ジャイナ教の祖となっています。

これらの思想や宗教は、いずれも因果の道理を無視し現実から遊離した教えで、社会や民衆を救うものとはなりませんでした。したがって、この低級な思想や宗教の影響によって、当時のインドでは16の大国や多くの小国とが互いに争い、社会はいっそう混乱の度を増していきました。

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